あと何度夏を殺せば充足するのだろうと呟いた

 夏が苦手である。暑いのが、ではない。リア充の季節だから、とかでもない。…断じてない。その「大きな欠如を帯びている感じ」が苦手なのだ。

 夏という季節は実態のない幻想のように思う。我々は象徴としての「夏」に自身の行動を重ね、「夏」を追いかけ、「夏」を掴もうと手を伸ばし、そうして始めて夏を成立させるのだ。我々はいつも能動的に、自らの手によって夏を成立させているに過ぎない。無理にでも成立させないと、そうしないと、夏は我々の目の前に現れないのである。

 「夏らしい行為」を行うことによって夏を成立させる。もっと言うと、夏という季節は、その夏らしい行為を強制する力が強いように思う。「そんなもんてめえの感覚だろうが」と言われれば身も蓋もないが「〈季節〉だから◯◯しなきゃ!」の〈季節〉の中に当てはめて一番しっくりくるものは夏だもの。

 だからなのか、夏のど真ん中を生きていても、実際今自分が8月の半ばに居ても、太陽に腕を焼かれて首筋を汗が這おうとも、全くリアルさがないのだ。浮遊感のような、どこか夏に足の着かないような感覚に襲われる。湿度の高い空気を吸いこめば、胸いっぱいに幻想と虚構の匂いがひろがるのだ。

 8月9日、午後4時現在。昼間に吸い過ぎてしまった幻想と虚構がまだ抜けてくれない。