ボケ爺さんとカーネルサンダース、人生で一番美しかったクリスマスの光景。

 街はすっかりクリスマス一色である。毎年この季節になり、緑や赤や金で彩られる街並みを見ているると鮮明に思い出す風景がある。2、3年前の12月24日、クリスマスイブのその日、私は「人生で一番美しいクリスマス」を見たのだ。


 その日、私は一人で近くのケンタッキーフライドチキンに行かなくてはならなかった。イベントごとに異様にマメであった当時の恋人の「24日の夕方に予約してあるチキンをお持ち帰りしてきて」との命をうけたためだ。当時、「若さゆえの斜に構えスタイル」を全身でとっていた私は「クリスマスイブにケンタッキーに行くなんて(そんなにベタなことは)、最早罰ゲームではないか」と猛抗議を行ったが聞き入れられず、とぼとぼと2人分のチキンを受け取りに店へと向かった。

 店内のカウンターで予約名を名乗り、無事チキンを受け取って帰ろうと出口に向かうと、そこに置いてあるカーネルサンダース人形と、杖をついた一人の老人男性が目に入った。
お世辞にも綺麗な格好をしているとは言えないその爺さんは左手の杖に体重のほとんどをあずけながら、サンタクロースの仮装をさせられたカーネル人形と向かい合う格好で立ち、顔を上に向けながらカーネルの右手に自分の右手を乗せていた。
その様子が不審で、一体あの爺さんは何をしているのだろう、と少し近づくと爺さんの声が耳に入ってきた。

「あんたはどこから来はったん?」

恐らく爺さんは痴呆だったのだろう。カーネルの手に自分の手を重ねていたのは「握手」だったのだ。カーネル人形を「外国から来た男」だと思ったのであろう。握手をしながら話しかけるボケ爺さんの声は「日本語が不得意でも聞き取れるように」との配慮からか、とてもゆっくりとした発音で、そしてあまりにも優しい優しい声だった。
「どこから来たのだ」と問うても、勿論人形が答えるわけもない。だが、そのボケ爺さんは問いの後、微笑みながらまたゆっくりと頷いていた。その様子は、まるで人形が「テキサスから来たのだ」と答えたのに相槌をうったかのようにも見えた。


 そんな二人を見ていたら、少し涙が出た。ボケ爺さんを「かわいそうに」と憐れんで泣いた訳ではない。何だかその光景の全てが美しくて、でもやはり少し哀しかったのだ。(「哀しい」中に「憐れみ」がないかと問われると答えにつまってしまうが)。クリスマスイブに浮かれる街並の中で、きらびやかにサンタクロースの服を着せられたカーネルサンダース、その異人の手をとり、ゆっくり、優しく話しかけるみすぼらしい格好の老いた男。優しい優しいボケ方をした老いた男。それを見ていたら何だかよくわからない感情で胸がいっぱいになった。


 これが、私の見た「人生で一番美しいクリスマス」だ。数年たった今でもあのボケ爺さんの声を忘れることができない。