29才の8月に(遅ればせながら)わかったこと

 もういい歳だということは重々自覚しているのだが、呑んだ後にアイスが食べたくなってしまい、友人と二人、コンビニへ寄って公園へ行った。選んだのはスイカバー(ビッグ)。「重々自覚している」と予防線を張りながらもビッグ系を選んでしまうあたり、まだまだ自覚が足りないのかもしれない。8月の夜のこと。
湿気を抱いたままの夜気の中、ブランコに座ってかじりつくスイカバー(ビッグ)。寄ってくる蚊や蟻と格闘しながら食べ進めるスイカバー(ビッグ)。何やってんねんもうすぐ30やぞ、と自嘲する頭のもう片方で、久しぶりに花火やりたいなぁ、などと思ってしまうのは、充分には大人になりきれていないからか。

 そうしてブランコに揺られていると、つい目の前の遊具が気になってきてしまう。どのみち酔っ払いついでだよな、とヒールにも関わらずうんていにぶら下がってみると案の定身体が重い重い。予想はしていたものの、予想を遥かに超える進まなさに愕然とする。なるほどこれが第一次老いるショックか、と文字通り体感したのだが、本当にショックだったのは身体の衰えではなかった。

何が楽しかったか全然わからないのだ。
ブランコを漕いでも、うんていにぶら下がっても、鉄棒で回っても、一体これの何が楽しくてあんなにはしゃいでいたのかさっぱりわからない。
子どもの頃あんなに楽しかった公園の遊具が。
これから先もまぁまぁ人生は続くというのに、あの楽しさはもう一生感じられないのだ。

 「当たり前だろ、大人なんだから」。わかってる、そんな事はわかっている。でも、それでも「あんなに楽しかった遊びがもう二度と楽しめない。何が楽しかったのかすらわからない」という事実を身をもって知ることが、こんなに虚しいなんて思いもしなかった。

 肉体的なことはいい。うんていが全然進まないのだって、筋トレをするなりあと5キロ痩せてみるなり、その気になれば多少は手の施しようがあるはずだから。でも感受性は取り戻し方がわからない。何をすれば、どこを鍛えればあのオーバーヒートの放課後を体感できるのかがわからない。虚しさの中で途方にくれるしかない。

 記憶としては覚えている。謎のブランコブームやうんていブームや鉄棒ブームがあったこと。うんていの上を走って渡ったり、ブランコの二人乗りしたり、ジャングルジムの中の一番広いところを自分の土地だと言い張ったり。鉄棒に両手両足をかけてぶら下がるだけの技「豚の丸焼き」、あれ何? いや、こんなにきちんとした遊具でなくとも、何か適当な大きさの石に動物のペイントがしてあるアレに座るだけでちょっと楽しかった気すらする。
でも何にそんなにワクワクしていたのか、何一つわからない。

 そうして、わからないことがわかって気付く。でかいアイスをブランコで食べようと、花火がやりたいなんてほざこうと、自分はもう充分に歪な大人で、あの頃楽しかった気持ちはもう体感できない。これも知っていたつもりで、でもわかっていなかったこと。

 スイカバーは当然のように食べきれずに残してしまった。

ボケ爺さんとカーネルサンダース、人生で一番美しかったクリスマスの光景。

 街はすっかりクリスマス一色である。毎年この季節になり、緑や赤や金で彩られる街並みを見ているると鮮明に思い出す風景がある。2、3年前の12月24日、クリスマスイブのその日、私は「人生で一番美しいクリスマス」を見たのだ。


 その日、私は一人で近くのケンタッキーフライドチキンに行かなくてはならなかった。イベントごとに異様にマメであった当時の恋人の「24日の夕方に予約してあるチキンをお持ち帰りしてきて」との命をうけたためだ。当時、「若さゆえの斜に構えスタイル」を全身でとっていた私は「クリスマスイブにケンタッキーに行くなんて(そんなにベタなことは)、最早罰ゲームではないか」と猛抗議を行ったが聞き入れられず、とぼとぼと2人分のチキンを受け取りに店へと向かった。

 店内のカウンターで予約名を名乗り、無事チキンを受け取って帰ろうと出口に向かうと、そこに置いてあるカーネルサンダース人形と、杖をついた一人の老人男性が目に入った。
お世辞にも綺麗な格好をしているとは言えないその爺さんは左手の杖に体重のほとんどをあずけながら、サンタクロースの仮装をさせられたカーネル人形と向かい合う格好で立ち、顔を上に向けながらカーネルの右手に自分の右手を乗せていた。
その様子が不審で、一体あの爺さんは何をしているのだろう、と少し近づくと爺さんの声が耳に入ってきた。

「あんたはどこから来はったん?」

恐らく爺さんは痴呆だったのだろう。カーネルの手に自分の手を重ねていたのは「握手」だったのだ。カーネル人形を「外国から来た男」だと思ったのであろう。握手をしながら話しかけるボケ爺さんの声は「日本語が不得意でも聞き取れるように」との配慮からか、とてもゆっくりとした発音で、そしてあまりにも優しい優しい声だった。
「どこから来たのだ」と問うても、勿論人形が答えるわけもない。だが、そのボケ爺さんは問いの後、微笑みながらまたゆっくりと頷いていた。その様子は、まるで人形が「テキサスから来たのだ」と答えたのに相槌をうったかのようにも見えた。


 そんな二人を見ていたら、少し涙が出た。ボケ爺さんを「かわいそうに」と憐れんで泣いた訳ではない。何だかその光景の全てが美しくて、でもやはり少し哀しかったのだ。(「哀しい」中に「憐れみ」がないかと問われると答えにつまってしまうが)。クリスマスイブに浮かれる街並の中で、きらびやかにサンタクロースの服を着せられたカーネルサンダース、その異人の手をとり、ゆっくり、優しく話しかけるみすぼらしい格好の老いた男。優しい優しいボケ方をした老いた男。それを見ていたら何だかよくわからない感情で胸がいっぱいになった。


 これが、私の見た「人生で一番美しいクリスマス」だ。数年たった今でもあのボケ爺さんの声を忘れることができない。

たった一つの「自己啓発」!

さて、今月下旬からワークショップ
Royal Plant3rd神戸」に参加する!

「Royal Plant」は
脚本家・俳優である後藤ひろひとが主宰するワークショップであり
“面白い人間を生むための実験場”である!

そんなわけで!
今回のエントリは「かつろぐ」とでも称し
文体をパロディしつつ記してみようと思う!

そもそも私は
「自分をより高めたい」だとか
「○○な自分に変わりたい」みたいな思考が
基本的に大嫌いだ!
お手軽に啓発したり啓発されあったり
名言のようなものを貪り食っては腹を満たし
食った3秒後には味も忘れてしまう!
そんなものがとってもとっても苦手だ!

しかし!
その一方で!
この嫌悪感の半分は「強烈な嫉妬心」であることも
私は知っている!
自分が到底できないと思っていることを
何の躓きもなくやっているように見える人々は
やはり嫉妬の対象である!
自分が疑うしかないことを
その疑いを超えてやっているように見える人々は
やはり他意なく「うらやましい」のだ!
(あくまで半分だけ!)

「あの人みたいになりたいなんて思うな
 あの人みたいになりたくないと思え」とは
松本人志の言葉であった!
この言葉もやはり
「半分の真理」なのだろう!

思えば長い間
否定に否定を繰り返し
右を見ても左を見ても「嫌いなもの」だらけ!
西を見ても東を見ても「なりたくないもの」だらけ!
知っていますか?
「嫌いなもの」が多いと人間は
足を動かせなくなるのです!

別に私は
「そんな自分を変えよう!」
なんて思ってはいない!
無理に何かを肯定しようとも
暴食をして舌を麻痺させようとも
思ってはいない!

ただし!
たまには「好きなもの」を無心に追いかけてみたい!
たまには「なりたいもの」をじっくり観察してみたい!
これは私が
吟味に吟味を重ねた
そしてこの言葉を使うのは悔しいが
やはり使わざるをえない
「自己啓発」なのだろう!

“面白い人間を生むための実験場”で
私自身もこの冬
一つの体感型実験を
行うつもりである!

あと何度夏を殺せば充足するのだろうと呟いた

 夏が苦手である。暑いのが、ではない。リア充の季節だから、とかでもない。…断じてない。その「大きな欠如を帯びている感じ」が苦手なのだ。

 夏という季節は実態のない幻想のように思う。我々は象徴としての「夏」に自身の行動を重ね、「夏」を追いかけ、「夏」を掴もうと手を伸ばし、そうして始めて夏を成立させるのだ。我々はいつも能動的に、自らの手によって夏を成立させているに過ぎない。無理にでも成立させないと、そうしないと、夏は我々の目の前に現れないのである。

 「夏らしい行為」を行うことによって夏を成立させる。もっと言うと、夏という季節は、その夏らしい行為を強制する力が強いように思う。「そんなもんてめえの感覚だろうが」と言われれば身も蓋もないが「〈季節〉だから◯◯しなきゃ!」の〈季節〉の中に当てはめて一番しっくりくるものは夏だもの。

 だからなのか、夏のど真ん中を生きていても、実際今自分が8月の半ばに居ても、太陽に腕を焼かれて首筋を汗が這おうとも、全くリアルさがないのだ。浮遊感のような、どこか夏に足の着かないような感覚に襲われる。湿度の高い空気を吸いこめば、胸いっぱいに幻想と虚構の匂いがひろがるのだ。

 8月9日、午後4時現在。昼間に吸い過ぎてしまった幻想と虚構がまだ抜けてくれない。

幾分かの割りきれないもの、或いはその周辺

 コーヒーショップで席を立つ際、引いてあった椅子を元の位置に戻す。飲み残しはこちら、プラスチックはあちらで燃えるゴミはそちら、などと書かれた分別に細かく従いゴミを捨てる。私にできる「善」などその程度である。
 勿論、それが「善」だと言い切れる確証があるわけではない。私の後にすぐ、立った席に座る人がいるかもしれない。椅子の位置を整えることは、発生している時給の中での店員の仕事かもしれない。ゴミの分別だって、最後は一緒にまとめられてしまうと言う噂も知っている。

 高校生の時、昼過ぎに授業をさぼって早退し、友人と二人コーヒーショップでうだうだとしていた。その時に上記のような行動を「お前さ、そういうの意識的にやってるけどそれ何?モテたいの?」とニヤニヤしながら聞かれたことがある。彼は更にニタニタとしながら続ける。「オトコウケ?」と。彼の笑いの中に「俺はそういうの気づいているけれど、お前のその行動はサムいですよ」という指摘を見た。

 即時に憤慨はしなかった。気分が落ち込んだわけでもなかったが、それを聞かれたことに何というか一抹のやるせなさのようなものを覚えた。確か、その場は冗談で「意識してやってこんだけ男に受けてなかったら継続する意味って何やねん」みたいなことを返したと思う。言われた言葉より、彼の悪意に満ちた表情に苛立ちはあったが、喧嘩はしなかった。面倒だったのだと思う。時間が経つにつれ、苛立ちは不安に変わっていった。

 それを言った意図はともかくとして、彼の言葉はあながち誤ってはいないのだと思う。それ故、不安に転化したのだとも思う。「善く思われること」を主な目的として為される善行は、一般に「偽善」と言われる。「やらない善よりやる偽善」なんて言葉もあるが、その行為が善かどうかすら自身が判別できないものである以上、その論理も使えない。その行為をする時、懐疑心を抱きながら同時に満足心も抱いている。「善か偽善か」より前に「善かそうでないか」の部分の解決がなされていない。

 それでも私は、やはり椅子を戻すし、分別に従う。「こうするべきだ」と確固たる論拠があるわけではなく、ただ何となく、本当に何となくなのだ。

 いつか、意識の外でそれをするようになれるといい。

 

君も免罪符を焼いて丸腰になろう!

「私、人見知りなんで」という先制の宣言が嫌いである。そして、私もまた人見知りである。

初対面、またはそれに等しい場において「自分が人見知りである」ことを相手に表明することは「自分は人見知りなので、あなたと円滑に会話しませんよ」と口に出されているのと同じ意味を持つ、と考えるからである。 人見知りであること自体は構わない。その人が円滑に会話を進める技術を持たない事を責めたいわけではない。それを先手必勝と言わんばかりに、一方的に宣言する姿勢が気に食わないだけである。

 私は、この宣言をする人間を「オフェンス型の人見知り」と呼んでいる。彼らが先手をきって行う「宣言」は紛れもなくオフェンス、攻撃である。「オフェンス型の人見知り」を行う人間は、人見知り宣言を行うことで一方的に自分がとる行動の了承を取り付けている、というのが私が彼らを嫌う一番大きな理由だ。自分が取る行動、とはすなわち相手に気を使って能動的に会話を繋げようとしないことである。つまり、先手を打って行われる人見知り宣言には「人見知りの自分はあなたを気遣って会話しようとしたりはしませんよ」という意味を見てしまうのである。先にその宣言をされることで、宣言を受けた方は半強制的に人見知りである相手を気遣ってその後の会話を続けることになる。一方、宣言を終えた側は相手が自分のペースに合わせてくれるようになり、気楽なものである。

 厳しい言葉で糾弾するようだが、これは甘えである。「人見知りだけどストレスを感じて会話したくない私を許容しなさいよ」と強制されているように感じるのだ。人見知り先制宣言とは「気を遣わないこと」を責められないための免罪符なのではないだろうか。

 私も本来は人見知りである。と、いうより初対面の場などで自ら口火をきったり積極的に話しかけていくことに戸惑いを覚えない人の方が多数であると思う。しかし「私人見知りなんですよ」という宣言はせず、できればその人見知りすらなるべく隠して接しようと思い、言葉を続ける。そこに「私人見知りなんです」と宣言されてしまうと、何というか少し悲しいのである。

 あなたが人見知りでも構わない。慣れていない場で、うまく会話が続かなくても黙り込みがちになったって構わないと思う。ただ、この免罪符を使われると何とも言えず虚しい気分になる。私はあなたが人見知りであることを責めない。だから、免罪符はもう焼いてみませんか。

「よいお年を」は“good bye”的である、というおはなし

この時期になると、もっぱら別れの挨拶は「よいお年を」となる。
「よいお年を」は、おそらく「よいお年をお迎えください」の省略であろう。小学生くらいの幼い時分は、何となくこのての時候の挨拶は無理矢理大人ぶっているようで、照れ臭くて口にできなかったのだが、もはや照れる歳でもない。

ところで年末以外の別れの挨拶はもっぱら「さようなら」である。「さようなら」という言葉、語源はそのまま「左様ならば」であり、「そのようであれば(あなたがもう帰らねばならないのならば)、この辺で別れましょう」という意味だ、という話を聞いたことがある。
これに対し、英語の“good bye”は元々“god by with you(古語ではye) ”であり、「神があなたと共にありますよう」と相手の幸せを祈ったものが語源だ。
どちらも美しい言葉だと思うが、私はその一瞬の別れをあくまで自分を主語として惜しむ、日本の別れの感覚の方が好みである。「さようなら」に「私はあなたにお別れをいうのが少し寂しいけれど、仕方ないので別れましょう」という意味までを付帯させるのは少し傲慢だけれども、それでも。

さて、どうだろうか。「よいお年を」は少し“good bye”的ではないか。別れ際に相手の多幸を願い、別れる。普段「さようなら」と別れを惜しむ日本語にしては変化球だ。
年末で別れを惜しむ暇もないほど忙しいのか、それとも一年の精算があるこの時期くらいはさっぱりと別れましょう、ということなのか、何にせよ面白い言葉だなぁと思う。

余談だが、大人になると、大きな事故や事件があるわけでもなく、大喧嘩をしたわけでもないのに、ただ、ふとしたかけ違いで「その人と二度と会わない」ということがあり得る、と実感して以来、意識的に「さようなら、またね」と「またね」を付け加えるようにしている。「今日は別れなければいけないけれども、私はあなたとまた会いたいし、会う意志がありますよ」というせめてもの表明と宣誓として。

それでは皆様、よいお年を。またね。